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信用・信頼の重要性

信用・信頼ができると自分の可能性を高めることができる。

恋愛関係で信頼ができると,結婚し家庭が作られる.

会社では、同族経営(家族しか信頼できない状態)から、アカの他人を信用できる会社(上場しているような会社)になることで大きな成長する可能性を持つことができる。上司が部下を信頼し,自立させ任せることでその部署が発展できる.ワンマン経営・管理では,成長余地は限られる.

経済では,相手を信頼することで,融資が行われ経済が活性化する.まさに信用創造(?)と表現される.相手が信用できない状態になり,融資するより預貯金にばかり向かえば不況である.

国と国,地域紛争では,相手が侵略してこないという信頼をしていることで,停戦が実現され,平和が維持される.

人間は他人を信頼する社会により,他の動物にはない現在の人間の繁栄を築いた.日本は,他の国にない人間同士の信頼及び国への信頼により現在の日本の繁栄を築いた.それが築けない国では,内戦が続き貧困にあえいでいる.

基本に返って,一番の最小単位である自分を信頼(自己の確立・自信)できないと幸せになれない.自分の可能性を信じ信頼することで,自ら判断・行動していくことで,大きな可能性を切り開く.

人によっては,他人は信頼できないという人が居る.ただ,自分しか信用できなければ,何もできない.極端になると,人が運転する車や,人の作ったものを食べられない.夫婦で,相手が信用できず不倫をしていると言い出すと,幸せな家庭など築けない.信用・信頼して生活できると,心の平安が訪れ幸せと新たな可能性が提供される.人を信用・信頼すると,相手にも信頼され居心地の良い人間関係が作られる(ただ相手を信頼しても自分を信頼してもらえないこともあることは念頭に).競争・比較の社会で,相手を信頼して裏切られたら怖いと感じるかもしれないが,開き直って信頼できる人間関係にいる方が幸せになれる.ただ,人は不完全な生物で,必ず裏切られることがある,裏切られても生きていける覚悟は必要である.

僕はよく,「人を信用しすぎるから,騙されないように注意しろ」と言われることがある.僕としては,何を買うにしても自分の判断で安い・高いとその時点で判断して買ったのだから,あとで安い値段が判っても騙されたとはあまり感じない.

現在の僕の問題は家族である.信頼して全てを一任してしまうと,どうでも良いから放置されているように受け止められてしまう.意見を求められて感じるままの意見を述べると,自分への厳しさと同様に家族へ厳しいことを求めていると受け止められてしまう.家族に夢を持ちつづけて,自立を促すのは難しい.まして会社・社会では無理だろう.まだまだ精進が必要だと感じさせられる.

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私案

常に日頃,医療従事者として自分の子供・孫の世代も今と変わらない医療環境がどうすれば残せるのかと考えている.とあるサイト財務省のアンケートが紹介され,自分の思いを思いつくままに書いて僕の勝手な意見を投稿した.
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医療従事者(医師)の立場として意見です.医療費削減の名の元に人件費・医療費が削られ身体的過重な労働環境にあります.ただ他の産業と同じで,モラルの高さ,責任感の強さなどにより医療レベルは世界水準を保っています.しかし,この状況は医療従事者の善意により保たれており,そこに医療訴訟が増加し,多くの医療者の精神面を蝕んでいるのが実際です.経済観念からすると,利益は限定(保険医療の規定内)で,リスクは無限大(賠償費用)という非常に割の悪い仕事をしています(現在のところ期待値はプラスだと思いますが).一部の医療者はそれに気付き,リスクのある症例を扱う医療現場を離れていきます.残ったものは一段と仕事が肉体的に厳しくなり,医療事故がおきやすくなるという悪循環です.訴訟回避のためのリスク管理費用は,保険医療に規定され転嫁できず,病院の赤字となり病院閉鎖となります.これが今の医療現場の実際で,このまま医療費抑制だけを行うだけでは,医療は萎縮し自分の子供・孫の世代には医療環境は破綻していると思われます.現在,世界有数の医療環境を次世代に残すべく小生の考えるプランは以下の通りです.

1.患者・国民の医学教育を充実し医療機関受診の機会を減らす.

病院に受診する大半は必要無いものです.風邪を点滴で治す,抗生剤を飲まないと治らないというのは一般に信じられた迷信に過ぎません.患者数が減り,治療が本当に必要な患者さんに医療資源を集中できます.

2.専門医より,家庭医を増やす医学教育

小児科医が足りないと言われて久しいですが,小児の病気は小児科医だけで見ることに無理があると思われます.多くの内科医は小児科のトレーニングを受けていないため,小児患者を診ることを敬遠しています.夜間に小児科専門医の診察が必要かどうか判断できる一般医師を養成することが必要です.

専門医偏重により,一人の患者さんを診るのに多くの医師を必要とします.胸が痛ければ呼吸器科・循環器科,頭が痛ければ脳外科という具合です.専門医の受診が必要な例は少なく,一般家庭医を養成し一人の医師で受診がすむように促すことが必要と思います.

3.家庭医システムを確立し,病院を減らし基幹病院へ集約.

拠点となる病院を選定しそこに専門医を充実させる.それにより症例が集約され,世界をリードする先端医療の発展を促す.

過疎地域の切り捨てという批判が出ると思いますが,日本のような狭い国土で集約化ができないはずはないと思います.オーストラリアなどの医療体制(広い国土を持ちながら,医療を集約化し医療レベルを保っている)を参考にできるのではないかと思います.

4.医療費単価の値上げ

必要無い受診を抑制し,受診時の医療内容の充実を図る.

5.医療訴訟に一定の歯止めをかける

現在の医師のリスクがある職場を離れるという流れは,給与内容に対する,リスクの高さ(訴訟)が原因と思われます.給与水準は変えない(人件費の増加を抑制)で,リスクを限定する制度を確立することでやりがいのある職場環境の提供が望まれます.職人の心意気に頼るような現在の医療環境は長く続きません.

6.脳死をめぐる移植医療の充実

現在,倫理的な問題で移植医療は遅れています.国内では厳しい脳死判定を課している割に,高い医療費を払って海外に移植医療を受けにいくことが美談として取り上げられる状況です.現在はそれでも募金活動で集まったお金で渡米できる状況ですが,国家財政が破綻(円安)すれば今の何倍もの医療費負担となり海外へ移植を受けに行くこともできなくなります.

移植医療を発展することにより,移植後の免疫抑制剤などの周辺製薬産業の育成,医療従事者の知的探究心の向上,国民へ先端医療の供給,金に物言わせて海外へ臓器を買いに行っているという批判の回避など,プラス面が多くあります.

以上,医療費の総額を変えずに,内容を変えて医療環境を次世代に残して行く私案です.

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特に移植医療については特に危惧しています.今のどこかの途上国のように,子供や孫の世代がその国に生まれなければ助かる病気なのにという状況にならないように...各自が死について考え,何を持って生きているのか考える必要があるかと思います.ただ2時間毎に体位を変えながら(床ずれ予防),チューブで流動食を入れられ生き長らえていることが本当に意味があるのか? そこに費やされる医療で,次の世代の医療がひっ迫し財政破綻を助長することを,その意識のない老人は望んでいるのか? これは,日頃から死を考えることを避ける風潮を変えて,生と死について考えていないといけません.植物状態になる可能性が高いと言われても,可能性が0%じゃないのならと人工呼吸器に継がれ植物人間が増産されている実情をなんとかしないといけません.これは将来各自に必ず課せられている問題です.

僕には医療以外の環境はわかりません.各自の判る範囲で,次の世代の日本人にどうすれば良い環境を残せるか考えていかないといけないと思います.僕らの子供が,親父の世代の官僚・政治家がこれをした・あれをしたから今悪いんだと後ろ向きなことを言い出したりしないように.....現在,批判ばかりして何をしなかった,何をしただということが問題にされています.挙句の果てに,個人の責任に帰着してしまいます.それを生み出すSystemを改善していこうという流れに変わらないといけません.

現在の日本の財政危機が,官僚が何をした・しなかったという批判をするのは簡単です.まず,空から雨の代わりにロケットが飛んできたり,物を盗まなくても御飯が食べられ,雨風をしのぐ家に住むことができる現在の日本で生まれ育っているのは,世界60億のほんの一握りということに気付かなければと思います.役人・政治家を含めて先人のおかげだと感謝して,これを次世代に引き継ぐにはどうすべきか考えないといけません.

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死を身近に感じて,全ての出来事をpositiveに捉えること

定期的に見ているブログでスティーブン・ジョブスの卒業スピーチの話があり,成功者に共通する基本を如実に表していた.

まずは日本語訳もしくは原文に目を通してもらいたい.

基本的にpositive思考である.多くの人に失敗と思われる場面でも,negativeに考えつづけることはしない.誰でも一時的にnegativeにとらえても,捉え方を変えてpositiveなものに認識している.悪い出来事をdotと表現しているが,それが後々に繋がるものと後から考えられると言っている.小さなdot,大きなdotの連続が線になるのである.

それともう一つの大事なことが,常に死を意識していることである.死というものを身近に感じて,今死んでも後悔ないことをできているかを考えている.惰性で過ごさず,死を意識しながら,常にpositiveに捉える重要性を感じる.

死を考えること,それは人生を考えることである.普通の生活なら,そんなことを身近に考える機会がない.幸い医師として,胎児-乳幼児-小学生-青年-中年-老人,自殺-事故-老死--先天異常etc....普通の人なら遭遇しない様々な生き様・死に様を見させてもらった.そんな場面を身近に見せてもらえながら,生きる事は何かを考えさせてもらえて本当に幸せである.この幸せを噛み締めて,いつ来るか解からない死を身近に捉えつづけたい.

家族・周囲には迷惑を掛けるがStay hungry, stay foolishである.命ある限りやり直しはできる.

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「すべて」を受け入れる

僕の家族しか読んでいない超マイナーな記事に多く(?)の人に読んでもらい、なんだか共鳴までして頂いたようでありがとうございます。
自分の子供も将来平石さんがかかえるような同じ問題にぶつかり、そのときに一助にしてもらおうと記事に書かせてもらっています(記事のネタをもらっている 立場で僕の方が感謝しないといけません)。そこでお節介ですが、ちょっとした気づきも提供できればと思い前回トラックバックをつけさせて頂きました。

平石さんには実際お会いしたこともなく、恥ずかしながらインターネットベンチャーでどんな偉大な方か存じ上げません。今回、平石さんのブログを通して僕の記事を見た方からトラックバックを頂き、影響力のある方なんだと改めて感じます。僕はただインターネットでたまたま見かけて毎日読ませて頂くようになり、大きな志を持って社会を変えていこうとされている方ということしか存じ上げません。
毎日のブログで日々の変化を記録されているのを拝見して、誰もがぶつかる問題を提示されています。特に経営者という立場(一般に常に完璧を求められる立場)でありながら、自分の葛藤・弱い部分を素直に表現し実名で提示されて、非常にタフな方だと感じます。
一般に自分の弱い部分は、傷つけられる(批判)ことを恐れて出せません。それが不特定多数の見ているところで出していけるのは、傷つけられても進んでいける本当の強さを持っているのかも知れません。
全てのありのままの自分を受け入れるというのは非常に大事な考え方です。誰もが理想像を心に描きながら、そうなれない自分に直面します。そこで自分をnegativeに否定することなく、至らないところがあることを認めて自己の自信を高めることが必要です。自分の完璧でない(弱い?)部分を否定し続けても、いずれ崩壊します。自分の本来の姿と違う自分を作ろうとしてもいずれ体力が尽き持たなくなります。自分の完璧でない部分に気付くと、強い自己を確立(mental toughness)したのちの謙虚・優しさを持つことができます。謙虚・優しさ無く自己を確立しても、気が付けば周りに人がいなくなっています(単なる高慢ちきですね)。
人間は完璧でないから人間であって、完璧なら神様です。長い(?)人生、3歩進んで2歩戻る、たまには回り道をしたりします。何もない舗装された平坦な道ばかりを進んでも、飽きてきます(すぐ慣れたり飽き足りするのが人間です)。たまに山有り谷有り崖有り、ダイビング(?)あり。それぞれの人に準備された道を楽しみながら進みましょう。
これからもブログを楽しみにしております。

keijin0205さん
、人間だから焦って当然だと思います。そうやって悩んだ分だけ、大きな答えが出てくると思います。ただ、焦ることを焦らないように気をつけられたらと思います。

missingmassさん、もう自己を確立された方かと察します。小数の反対意見があったとしても、大義名分を通して進んでいく力強さを感じます。社会を変えていく起業を願います。

若輩の小生が偉そうに書きましたが、適当に読み流して頂ければ幸いです。

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比較→競争→焦り・嫉妬

比較することは全体の中で自分がどういう状況にあるかを理解する上で大事です.ただ,焦り・嫉妬をしない自己が確立していない状況では,多くの弊害も生みます. 劣等感・競争心から焦りを生むことがあり,場合によっては嫉妬を生む事があります.

他人と比較することで現在の周囲の状況は何ら変わりません,ただその状況の捉え方が自分の中で変わります.自己が確立せずに比較ばかりしてしまうと,自分の立場が迷走してしまいます.比較することで何がもたらされるでしょうか,物質的には何もありません,ただ心の状態が変化するだけです.知覚のされかた(捉え方)を変えて,自分の未熟さを自覚・幸せを自覚しながら精進していく糧とできれば行動力の源とできます.

焦りを感じるときは,自分の進んでいる方向性に何か疑問を持っているときか,同時に多くのことを得ようとしているときです.
その方向に進んでいって何を得るのか再度考えてみましょう.さらに,それを得て何が起きるのか考えましょう.その先にある本当の目的を明確化すると,迷いなく進んでいけます.

同時に多くを得ようとしているとき(二兎を追っている)は,優先順位をハッキリさせましょう.
人間の能力は限られていて,できることは限られています.何かを優先すれば,何かは下位に位置されます.二つは同時に追うにしても必ず優先順位をつけることは重要です.

嫉妬は,人間の欲として仕方ないものですが,これほど害のあるものはありません.
嫉妬して相手を潰して,人間関係を失ってまでして手に入れるものは何でしょうか? 一次的な勝つという喜びだけで,後には壊れた人間関係が残るだけです.
嫉妬を捨てて,人の成功・出世を喜んであげる.そうすることでより良い人間関係が得られます.特に昨今の勝ち組・負け組という発想(基本に競争の概念がある)は非常に危険と思います.それぞれ個々の長所を活かして,お互いに感謝しあえる社会が次の世代に残せればと感じます.

小さいころから受験勉強,周囲の目を気にする日本人の気質,社会に出てからの出世競争.皆,生まれて学校に入ってから比較-競争という習慣が刷り込まれています.この比較-競争-焦り・嫉妬の習慣を除去するのは一見難しく見えますが,焦り・嫉妬しない自己が確立すると次の新しい世界が広がります.

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