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偽善者・利己主義

偽善者・利己主義と呼ばれて,良い気分がする人は少ないだろう.ただこれは僕を含めて全ての人に当てはまることだと思っている.

主観的には偽善者・利己主義であっても,他覚的にはそれが善人・献身的に見える人達がいる.自分の幸せ・利益を他人と共有できる人達である.マザーテレサやガンジーといった人達である.

人々に愛されるマザーテレサと悪名高いヒトラーで,その原動力・行動力に共通の項目がある.どんな善人だろうが,悪人だろうが,動物を含めて共通すること,それは快楽を得られることをして,苦痛を伴うことを避けることである.マザーテレサは,人々を助ける・自分が良いと思うことを他人に施してあげることに自分の幸せ(利益)を見出し,幸せ・利益を他人と共有している.ヒトラーは,世界を征服することに幸せを見出し,他人と幸せを共有することなく民族淘汰に走ってしまった.

両者とも,基本は自分の持っている価値観を満たす(自己満足・利己主義)行動を取っただけである.もし,自分が善人だと思って行動を取っても,自分の価値観で良いと思うことを追求している偽善に過ぎない.ただ,その自己満足を追求する行動が,周囲と共有できる人が善人と言われる.自分の利益・幸せだけを追求する人は,動物と変わりない(動物は本能的な欲求を満たす行為をしているだけ).それが周囲の人と共有できるのが,人間が他の動物と違う特別な存在である所以と思う.

自分は偽善主義・利己主義である事実を受け入れて開き直り,自分だけの利益でなく他人の利益ももたらす考えができるかが,その人の人間的幸せを決定すると考える.

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生涯で一番高価な買い物

表現が悪いが,家を買うつもりのない自分にとって,子供を持つことは生涯で一番高い買い物である.子供を育てるのに,一人2000-3000万の費用がかかると言われるが,3人の子供を持つ自分は9000万もの買い物をしていることになる.

生活費・学費・住居費etc.など,経済的には支出ばかりかもしれない.子供を持たずに人生を終えることもできるが,子供を持つ経験をすると子供を持たずに人生を終えるのはもったいない.生きる意味・夢・時間の尊さを考え,精神的に大きな成長を与えてくれる.人間の短い人生で出来ることは限られている.その中で,こんな貴重な経験を知らずに人生を終えるのはもったいない.

子供という大きな借金を抱えているが,惰性で歩むことなく人生楽しみながら夢を持ち続けたい.

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産科の医療崩壊

まず,この二つの記事に目を通して欲しい.

(1) 19病院の搬送拒否,奈良の妊婦死亡
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061020k0000e040067000c.html

(2) 産科医が超勤手当1億円と設備改善を要求
http://www.asahi.com/national/update/1022/OSK200610210109.html

たまたま,奈良の産科の話だがこれは氷山の一角で日本全国が多かれ少なかれ同様の状況である.
まず,(1)の記事では事故に遭われた御本人・御家族に冥福を申し上げたい.ただ,記事の内容からは,あたかも脳内出血を診断できていなかった産科医が悪いと思う人が大半であろう.産科医として,実際の臨床で分娩中に痙攣が起きれば,妊娠中毒症→子癇発作と思うのが当然である.抗痙攣薬を投与し,術前後の全身管理(呼吸管理・DICに対応)及び新生児仮死を考慮して高次施設への搬送を依頼するのは妥当である.
そこでCTを撮って脳内出血を診断しても,全身麻酔下に緊急帝王切開という治療法に変わりがない.人手が足りない状況でCTを撮りに行くより,搬送を急ぐのも妥当である.
もし,CTを撮り脳内出血が診断されていればどうなるか...搬送を断っていた病院が受けてくれるか?...それは満床・人手が足りない理由で断っていた病院が,より重症の脳内出血合併の人手のかかる妊婦を受けるとは思えない.単に搬入拒否した病院が後付した理由として,脳内出血があれば受け入れてくれるところがあったかもしれないと言っているだけである.

そして搬入先の病院はどんな状況か?それが記事(2)(本当にこの病院が産婦人科の高次機能病院かは知らないが,産婦人科医5人もいる病院であればそれなりの規模と想像する)である.「なんだ医者は時間外で1億も請求するのかアサマシイ!」と思うかもしれないが,限られた人的資源でなんとかきりもりしながら,なんともならない状況に最後の手段として社会に訴えるためにこういった行動をとっていると想像する.搬送を受ける余裕がないというのも当然の状況である.

これを独りの産科医の問題として片付けるだけでは,産科医療の崩壊を助長するだけである.誰が悪いわけでもない,産科医を非難することなく,国策としての社会制度を変えていく議論に発展して欲しい.

医師の中には痙攣なのになんでCTを撮らないんだと思う人も多いかもしれない.ただ産科医の立場で分娩中の痙攣で,第一に脳内出血を疑うのは難しい.痙攣後の意識朦朧とした患者の片麻痺などに気づくことなど,産科医には難しい.内科医であっても,痙攣を起こしたから頭部CTと思うことが多いのではないだろうか...意識昏睡の神経症状を取るのは,神経専門医でも難しい事がある.

日本の新生児医療は世界最高水準である.そんな中でも,大阪は周産期システムの整ったトップクラスの地域である.地理的に奈良から大阪へ搬送することは,決して難しくないはずである.日本で周産期の比較的整った大阪近辺でもこのあり様という危機的状況をみんなに気づいて欲しい.医療従事者の道徳・良識に多くを頼った現在の状況が長続きすることは困難である.

僕は,産婦人科医の専門医を持ちながら,一流の脳外科研修もさせてもらって,一般医師より周産期・脳血管障害に精通している.そして今では第一線の救急医療を離れて比較的自分の時間が取れる生活をさせてもらっている.僕の妻に言わせると,「あなたはいいところだけを勉強させてもらって,一番辛いところから逃げている」と言われる.そのとおりである.僕のように産科の第一線を離れる医師がこれ以上増えて欲しくない.
罪滅ぼしに,戦地に残した戦友へのメッセージとして今日の不定期記事を掲載させて頂く次第である.

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子供を持つこと

よく言われることだが,子供のありがたみは子供を持たないと分からない.見返りを求めない愛情を提供する関係は,親から子供への関係のみと聞いたことあるが,うまく表現されている.恋愛関係を含めて,相手に何かするときには,心のどこかに見返り(相手によく思われたい,何かしてもらいたいetc.)を求めていることが多い.親→子への場合は,特に見返りを求めていないことが多い.ただ理由も無く,子供のためならと頑張れるものである.

子供に多く感謝されることもなく,それでも両親は愛情を提供し続ける.子供を持つ前までは,自分がそんなことができるのだろうかと思ったものである.

僕が死ぬときに一番気になることは子供である.お金を残しても,戦争・恐慌が起きれば無くなる僕が子供に残したいものは,どんな困難でも希望をもって生きていけるmental toughnessと能力である.そして出来る事なら,僕が死んでも,社会が家族を守ってくれるような温かい社会を残したい.叶わぬ夢だろうが,よりよい社会を残す大望に向けて,いろいろ遠回りしながら人生を歩むつもりである.

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孤独

人間は群れることを好み,孤独を嫌うものである(一時的な孤独→ひとりの時間は求めてもあくまで一時的である).孤独に苛まれて自殺する人もいる.

だが,幸せになるには孤独に慣れなければならない.誰一人理解してもらえなくても自分の中の価値 (神様のような存在)を感じて,進んでいく孤独に耐えれなければならない.例え孤独でも感じられる幸せがあれば,次にそれを周囲の人と共有することで倍増できる.自分自身に幸せがないと,周囲の人と共有しても他人を不幸せするだけである.

人の価値観は多様であり,誰一人として同じ人はいない.全く同じ考えをしてくれる人は自分以外ない.一人で生まれて,一人で死んでいく.一人で死んでいくまでの過程として,自己を確立して孤独に生きられるように研磨するのが人生かと感じる.

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メンター

メンターを持つと良いと言われる事がある.メンターが居ると実際にそうある自分を具体的に描きやすく,具体的に描いた理想像は達成したい目標として,強い遂行力を与えてくれる.よくある成功哲学に,夢・計画は具体的に細かく描けというのと同じである.
一時期,僕もメンターなる存在を求めていた時期があったが,完璧な人間など居るわけもなく持たずじまいである.その代わり,自分の中に神様のような存在を信じて迷うときには良心に従って行動している.
メンターを持つのも持たないのも個人の選択だが,メンターに全ての判断を任せるのは危険と思う.全ての判断を頼っていれば,新興宗教に入り教祖を崇めているのと変わりがない.メンターを参考に,自立した自分を確立しなければならない.

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