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生きる意味は何か

この頃,臨床を離れてだんだん一般人(?)の感覚に慣れてしまった(健康が当然の感覚).

自分への戒めとして,今日は臨床をしていたときに勉強になった経験について..

小児科で働いていた時,脳の先天異常による病気で痙攣・精神発達遅延のある10歳ぐらいの女の子が入院してきた.痙攣が悪化して精査のためで,父親に付き添われていた.その父親は,そのお子さんのために仕事も変わり,面倒をよくみる人であった.まだ私自身の子どもは当時2歳ぐらいだったが,障害を持つお子さんを持って大変だと心の中で思っていた.
私が受け持ちの挨拶に言った際に,その父親から言われたことは,目を輝かせながら「私はこの子の御陰で今までいろんな優秀な先生(医師)に会わせてもらえて,この子の存在に心から感謝している」ということだった.その言葉は本当に心の底から発せられたものであった.
その言葉にハッとさせられ,私が同じ立場でそんなことを言えるだろうかと自問していた.当時,まだ優生主義的考えが残っていた私には,自分のそんな考えを恥じる瞬間だった.当然のことだが,どんな人にもそれぞれの人生がある.人を幸せにするという意味では,障害を持つことは何の意味もなさないと気付かされた瞬間である.

勉強ができようができまいが関係ない,子供という存在に感謝する限りである.
その子供のために,私は次の世代のために何ができるのかと常に意識する必要がある.
自然界は混沌としていて,何もしなければentropyは常に増大していく.それをorganizeして次世代が活き活きと生きていける環境のために必要なことをすること.それが私の生きる意味である.

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コメント

人生において、優劣,幸不幸などは、あくまでも相対的なものである。
絶対的な優位さや幸福などありはしない!あくまでも、誰々とと比較してどうかによって決定付けられる。肝心なのは、自分の中で基準を決める事だと思う。
例えば、言語の習得でもそうだが、友人や周囲の人間と比較して自分が仮に一番だったとする。しかし、そのレベルで果たしてその言語を話す国において、実際どれだけの実用性があるのだろうか?もし、使い物にならないのであれば、自分の今のレベルは、まだまだという事になる。仮に実用的だったとしよう。では、どのレベルまでの実用性だろうか?
ただ単に、コミュニケーションを取れる,ちょっと込み入った日常会話まで可能,仕事上の交渉や討論まで可能,現代表現から古典的表現まで多岐に渡って表現可能。
言語習得の例ひとつ取り上げても、上記のようないくつかのレベルに分類わけできる。
ちなみに自分の中国語で言えば、仕事上の交渉や討論まで可能だから、自分的にはまずまずかな、ってとこである。もちろん目標は最終段階であるが。
上記日記の内容と、かなり話の路線が外れてしまったが、要は何事も他人と比較するのではなく、自分の中で目標を決め、それに向かって邁進すればいいのである。
それによって、相対的に優劣・幸不幸が決まったとしても、それは問題にはならない。
ある意味、足るを知ればいつでも幸せになれるのだから。
基本的なことだが、外的財産(地位・名誉・金銭など)に対しては足るを知る必要性があるが、内的財産(学問・精神的修養など)に対しては、貪欲に行きたい。

投稿: jacky | 2007年11月22日 (木) 04時55分

> Jackyさん

常に知的欲求(Jackyさんの言う内的財産)を貪欲に追求することが必要ですよね.

会社員になって,今の身の回りでは,そういった貪欲な知的欲求を追求する人が少ないです.僕からすると,惰性で人生を歩んで,限られた時間を無駄遣いしているように見えてもったいないんですよね.
反対に,医者の世界って常に知識に貪欲で常に自分の能力を伸ばそうとする人が多かったですね.

投稿: 夢見るK | 2007年11月24日 (土) 04時06分

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