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意固地になるのはmaturationの問題

子どもを見ていると些細なことに意地を張り合ってケンカをする(意固地)ことがある。大人になっていくとそんなことで意地を張り合っても両者共に損をするというのがわかりしなくなる。

でも多くの大人はこの延長線上と変わらない問題に直面している。相手の行動をnegativeに捉えること(意固地)である。信頼関係ができず、相手の全ての行動がnegativeに見えることである。negativeに捉えても両者共に損するだけである。常にpositiveに捉えながら、frank / straightが皆幸せになる秘訣である。

会社で周囲の人を観察すると,意固地(maturation)の問題を抱えている人を散見される.概してpositionの高い人ほど,意固地の問題は少ない(ないわけじゃない).でもこれは,意固地になって成果が出せないと出世できないから,当然といえば当然の現象なんだろう.

それにしても,会社というのは面白い世界(生態系?)だ.ただ,こうした方がより効率的なのにと思って,どうにかしようとすると自分にストレスがかかるのも事実だ.

 

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Simplicityの重要性

先日,会社で外部セミナー(presentation skill development)に参加したのだが非常に刺激的だった.その中で言われたことに,complexityのものを,simplicityに表現できることが大事だと言われた.確かに非常に複雑なものを,単純化して理解・説明することは大事だ.scienceにしろbusinessにしろ,一見複雑に見えるものを単純化することが大事である.

科学においては,公式を見つけ出すことである.例えば,アインシュタインは難しい物理の世界を簡単な公式で表現できるようにすることであった.

Businessにおいては,いろんな問題がある中で,何が一番criticalで解決すべき問題かを見つけ出す(simplicity)ことだ.ぜんぜん本質では無い問題に無駄な時間を費やさないことである.

人を納得させる(presentation)には,多数の複雑なことではなく,伝えたいコアのメッセージに絞る(simplicity)ことである.

優秀な人は,今までの経験で導いたことを公式化(simplicity)して,新たな局面に応用していくことである.

日常生活の中で,いろんな問題に遭遇しながらも,複雑に考えるのではなく,simpleに考えることの重要性を痛感した.

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僕って怪しい??

先日,自宅近くのスーパーで外国人(韓国人)に道を訊かれて,話の途中で「あなたは日本人ですか?」みたいなことを訊かれた.

その後,新宿駅に行った際には,初めて警察官に呼び止められ荷物検査を受けた.週末で,ジーパンにリュックを背負って歩いていたのだが,「すみません.危険物を持ち歩いてないか荷物を見せてください...」と止められた.素直に,たいしたものも入ってないリュックを見せて終わった.ただ,新宿駅の西口で大量の人が歩いている人ゴミで,私一人が呼び止められて検査されてしまった.俺ってそんなに怪しい人に見えるのか???

まあ,人と違うことは良いことだと考えて,気にせずやっていこう.

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日本の将来が見られる映画

以前からみたいみたいと思っていたちょっと古い映画をやっと見た.題名は「John Q (ジョン キュー)」.一般の方に知られているかどうかは知らないが,医療従事者の一部には少し(?)話題になった映画である.

心臓移植が必要な小学生を持つ父親が,保険(HMO)がカバーできないということで,治療を受けさせるために犯罪を起こすというストーリーである.

父親として,子供がそれで助かるなら命を差し出す覚悟が出来る感覚に共鳴して,泣いてしまった.

それはさておき,この映画が一部の医療従事者で話題になったのは,アメリカ型の医療の問題点を浮き彫りにしているからである.日本を含めた一部の先進国を除いては,命の沙汰も金次第という現実が常識である.一般の方々にこの現実を知ってもらって,(1) 医療機関は公共の財産であることの認識 (コンビニ受診的な利用をするものではない)(2) 過酷な労働環境での医療訴訟が医療崩壊を引き起こしている...っということを認識して,いかに次の世代に良い医療を残せるか考えて欲しい.

重い病気を持った患者さんが,募金活動でお金を作って外国へ移植しに行く....善意で成り立つ美しい話である.ただ,同時にその国の人の移植を受ける機会を奪ってお金で臓器を買っているという現実も知って欲しい(もし臓器の足りない日本へ外国人がお金にもの言わせて移植にやってきたらどう感じるだろうか?).

ただ,移植しか助かる道がなければ,私もお金を集めて家族にその治療を受けさせたいと思う.同じお金をかければ,途上国の子供を多く助けられるのがわかっていても...今の我々に必要なことは,長い視野に立って子供の世代のためには何が今できるかを考えることだと思う.臟噐移植で海外に臓器を買いに行かなくて良い状況,日本で移植医療を発展させてしかも医療周辺産業を発達させることである.意味もなく厳しい脳死判定に固執して,移植医療の発展を拒むことは,自分の子供たちを苦しめることである.子供の世代が必要としていることは,我々親の世代の思慮深い行動である.身近に持てる臟噐提供意志表示カードで意志表示ぐらいはしても良いんじゃないだろうか...私は常に全臓器提供を希望したカードを持ち歩いている.人生の最後には子供の世代に役に立って死ねる.

ただ,家族の署名欄は同意が得られず空欄のままである.私が脳死の時には署名してくれると信じているが...いつまで生きられるかわからないからこそ,Let's enjoy our life!!

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