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相手が本音を語ってくれないとき

会社という組織の中で,この人はここを変えられると損をしなくて済むのにと思うのを見かけた.反面教師の意味での観察記録.
症例Aさん,年齢40代後半,裏表のない素直な人だが周囲からの評価は「親分肌の気難しい職人」.
ちょっとしたところで,論理性が乏しく感情的に反応してしまい,本人の業務評価を下げてしまっている.
このAさんの訴えに,「どうして○×さんは,本音で言ってくれないのだろう...」というのがある.本人は,周囲の同僚に何でも気さくに本音を言ってくれるような人間関係を望んでいる.そして,業務で任されたことは全て自分が関わっていないと気が済まないという職人気質的(micromanagement)なところがある.業務上の問題をAさんに気を遣って,Aさんに相談せず処理したりすると,Aさんは「どうして私を外しているんだ..」と不信感を持ってしまいがちである.
周囲の同僚が本人に余計な気を遣って本音を言わない状況になり,Aさんの不信感が増大(意固地になる)するという悪循環に陥っている.
Aさんは時に怒りを交えた反応をするところがあり,周囲が本音を言えなくなっていることに気がついてないのである.そして,その周囲が本音をいわない状況に不満を持ち,その原因が本音を言わない相手にあると思ってしまうのである.

相手が本音を言ってくれないと嘆くときに,上記のような状況に陥ってないか振り返ってみよう.
# このAさんに認知療法的approachで,反応の仕方は変わってきていた.その後を知らないが,Aさんが周囲に責任を転嫁せずにhappyな人生を歩んでくれていることを願う.

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助けるべきだったのか...

臨床を離れて純粋な(?)サラリーマンとなって1年半が経った.臨床での「死」ということを身近に考えることで,「生」の意味を考えるような機会がほとんどなくなった.
臨床医時代の私の記憶に残る患者さんを今日は振り返ろうと思う.どうしても医者という職業柄,人を物質的に捉え,一般の人には非常に冷たい印象を持つ内容と思うがこれはご了承いただきたい.

患者さんは35歳前後の女性で,私はその患者さん本人とは結局一度も口を交わせずじまいである.私の中では,助けるべきではなかった患者さんだが,家族のためには仕方がなかったと思うことにしている.
旦那さんと小学校5年・3年の二人の息子さんと同居.今回は3人目の子供を妊娠し,破水・自然陣痛発来し前医の総合病院へ入院.入院後に,「しんどい」というナースコールがあり,看護師がすぐに駆け付けるも既に心肺停止状態,医師3人で心肺蘇生を試みて約30min後に心拍再開する.心肺停止蘇生後の妊婦として私の勤務する病院へ搬送されてきた(JCS-300).又,胎児は搬送前に既に死亡していることが確認されていた.
当院のICUへ収容.入院時(到着時1:00am頃)の血液検査では血液凝固異常を認め,経過より羊水塞栓症と診断した.分娩が進行と共に経膣的な出血が増え循環動態が不安定となる.医師3人がかりで輸血を行いなんとか循環動態を安定している状態であったが,分娩とともに循環が虚脱した.輸血・輸液をすれども血圧は60mmHg程度を保つのがやっとであった.心拍再開に30min要した上に,心拍再開後も神経学的反応もない状況で非常に予後は厳しく,他の2人の医師は仮眠に入った(5:00am).私は諦めずにひたすら大量の輸血を続けた.近隣の県からも血液を取り寄せて,約10lの血液を入れて循環動態が安定する(7:00am).
循環動態が安定して,神経学的予後の判断のために頭部CT撮影.脳槽が狭小化し,脳全体がびまん性に腫大し,脳外科医によりほぼ脳死との診断であった.
脳外科医と共に旦那さんに病状を説明した.「いつまで心臓が動いている状態が保てるかは分からず,ほぼ脳死状態である.ICUで家族の面会制限があるより,一般病棟で家族で過ごせるようにした方が良いと考える...」
旦那さんには,1%の望みでもあるなら治療を続けてほしいと懇願された.回復の望みのない患者さんをICUに収容し続けることもできないため,積極的治療という方針のまま一般病棟に移動した.
一般病棟に入った後も,臨床的脳死状態で尿崩症を併発し,循環動態は変動した.救命できる可能性がない,よくて植物状態の患者さんの治療に関心のある医師はなく,私一人が積極的に治療を続けている状況であった.そうして約1週間が経ち,再度正式な脳死判定を行うが,わずかに脳幹反応が検出されるのみであった.旦那さんの脳死でなければ積極的治療を続けてほしいという希望のまま,治療を続けていった.
そうして人工呼吸器は必要ながら,経静脈栄養から経管栄養となった.限りなく脳死に近い植物状態で安定し入院から約1か月後に自宅により近い前医へ転院した.
転院する際には,このまま一生この状態でまた話せる状態にはまずなることはないと説明したのだが,旦那さんは私に感謝してくれていた.

私がやった医学的事実は,回復の望みのない臨床的脳死の患者さんを増やしただけである.家族の負担,社会的負担を考えると合理的ではないのだが,家族(旦那さん)がそれを分った上で積極的治療を望んだということを理由にして,積極的な治療を続けた.その積極的な治療を続けることに,家族の希望と言えば聞こえが良いが,ただ自分の持っている医学的スキルを駆使して全身管理をしたかったという部分がある.どうやっても助からないという症例に,いろんな薬を使って治療をし,ただ心臓が動いている状態をどこまで続けられるのかという医学的興味が自分の中にあった.私の思う心ある勇気のある医師なら,ほどほどに治療して「できるだけの治療をしたけれどやはり駄目でした」と旦那さんの納得できる死を迎えさせてあげるべきだろう.
家族の希望という免罪符を使って,自分の医学的探究心から逝かせてあげられなかったと未だ気になっている患者さんである.

特に脳血管疾患では,よくて植物状態という回復の望みがない患者さんに遭遇する.それを家族に説明しても,1%の可能性でもあるのなら積極的治療を続けて欲しいと多くの家族が希望する.また,家族を見捨てたという罪悪感から,消極的治療を選択できない多くの家族が存在する.医学的に正しいこと・社会の利益になっているのかと疑問に思いつつも,家族の希望という免罪符で私の中の葛藤をもみ消してしまう.
生きる意味は何か,何をもって生きていると定義するのかという根本的問題を多くの患者さんに考えさせてもらった.
そうして見出した私の中での生きる意味は,家族を自立させた後に社会のために貢献することである.私にとっては,自分で物事を判断できる状態が生きているという定義であり,植物状態しか望めない状況では,一切の延命はして欲しくないし経管栄養さえもして欲しくないと思っている.

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新しい職場

新しい職場で約1週間が過ぎた。海外出向で8月中旬に渡米という約束で入社したのだが、未だVISAもなく渡米の日が決まってない。。。東京の住居は引き払って、引っ越し業者に全ての荷物を渡して、家族は妻の実家で滞在中。子供の小学校が始まるし、このままどうなるんだ????。。。という精神的なストレスがかかっているが、自分と家族の健康さえあればなんとかなると言い聞かせてひたすら手続きを待っている。

新しい会社は、本当にむちゃくちゃ小さい会社である。40人ほどの会社と聞いていたが、入ってみると27人しかいない上に、board memberの間には確執がある。小さい会社ながらboard member間の確執が影響して、社員間での情報が共有されておらず、大企業並みに縦割り(?)のような弊害があるようだ。開発pipelineの製品profileもかなり挑戦的な状況である。
かなり資金繰りには苦労しているようで、無事海外赴任させてもらえてもいつ帰国になることやら。。。:-)  それにしてもよくもまぁ、即戦力とは言い難い(?)私を雇う余裕があったのか不思議に感じる。
今から思うと私もこの会社へよく入社を決めたもんだと思うが、これはこれでまた良い経験になると思ってやるしかない。
幸い一番の懸念の恐(?)妻は渡米ができるということだけで、とりあえず満足してくれているようで彼女のmental toughnessにはいつも感謝する限りである。やはり3人の子供を育てる母たるもの、あれぐらいtoughでないと務まらない。

前の会社ではMedical Affairsという開発後期(phase3)~市販後(phase4)の関係のことが多く勉強できたが、今回は臨床開発前期(phase1~phase2)のことが勉強できそうである。
始まったばかりの新しい職場で、学べることは最大限学んで、会社には給与をもらった以上の貢献をできるようにやれることをやるしかない。

。。っとダラダラと現状報告でした。

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どこで住むのがbetterなのか??

怠慢で1週間に一度のblogが書けず、一日遅れ。。。
このところ、転職したばかりで仕事は暇だけど、気疲れ気味。。。
渡米準備(本当にできるのか??)で、7/31に賃貸アパートを引き上げて、家族は妻の実家へ行き。私の方は1泊6500円のエレベーターのないウィークリーマンションで初めての単身赴任生活中。
家族と離れて、仕事も暇(?)で少し自分の人生を見つめなおす時間ができて今感じていることは、夏目漱石(?)の文章のどこかに出てくるどこで住んでも「とかくこの世は住みにくい」こと。

攻めの自分の人生を歩みながらも、子供の成育環境に最高は無理でもその時のbetterなものを提供したいと思って来たが、どこに行っても、この場所が子供に最適だと思えるところがない。

家族を持ってから住んだところは、
1. 広島市中区(社宅、広さ70m2?) 家賃3万?/月
当時でも築30年(?)ぐらいの社宅だったが、子どもがまだ1人で比較的快適な生活を送った。ただ、子どもをほったらかして遊ばせられる自然がなかった。

2. 広島県福山市沖野上町(賃貸、広さ50m2?) 家賃7万/月
階下の家族が喧嘩をすると声が聞こえてくるような環境で4年間も住んだ。幼児が3人で必死で生活していた。やっぱり子どもをほったらかしで遊ばせられる手近な自然がなかった。

3. 広島県福山市沖野上町(借上社宅、広さ70m2?) 家賃10万(?)/月
わずか10ヶ月の生活だったが、階下の住民から子供の足音の文句を言われ、妻が家じゅうに布団を敷きつめていた。

4. 中国北京市(借上社宅、広さ180m2) 家賃USD 2500/月
日本で言うところの六本木ヒルズみたいなところ(?)に住んでいたが、言葉は通じないし、大気汚染はひどく、日本のように安心して家族と出かけることは難しい。
物価の関係から資産が8倍くらいになったような生活が送れるが、お金があれば楽しい人生が送れるわけではないと改めて感じさせてもらえた。

5. 東京都千代田区(?)神田町(ウィークリーマンション、広さ70m2?) 家賃45万(?)/月
中国からの帰国の際に転職先の会社が手配して家族で約2週間住んだ。
自然がない。スーパーがないので食料品をコンビニで買うことになり、とても家族持ちには居心地の悪い地域だった。

6. 東京都渋谷区富ヶ谷(借上社宅、広さ100m2?) 家賃35万/月
入居した当初は知らなかったのだが、今思うと身分不相応な高級な所に住んでいた。それでも、子供の成育環境にあまり良いとは感じれなかった。
とても3人の子供を私立にやることはできないので、良さそうな公立小学校を狙って住んだ。小学校に少数ながらガイジンがいたりするが、やはり子供がイジメ(?)の対象になりがちであった。代々木公園が近くで比較的自然に触れやすい環境だったが、人工的な自然でしかなく、昆虫などの小さな生き物が少なかった。
町内会長(?)が阿部晋三さんだったり、麻生太郎の家が近くにあるような地域だった。同じアパートの住民は小渕優子さんとか、大塚製薬の会長が東京滞在時の別宅として借りていたりして、他にも有名人が何人かいたみたいだがテレビを見てないので解らない。
# 退去時に知ったのだが、昔、スマップの中居さんや窪塚(?)さん(マンションから飛び降りて話題になった俳優。。このアパートで飛び降りたわけではない。。。)が住んでいたらしい。

7. 東京都港区白金(ウィークリーマンション、広さ15m2?) 家賃6500円/日
家族と一緒には住んでないので単身での感想だが、近くに自然がなく子供を遊ばせる場所がない。あまりこの地域に家族で住みたいとは思えない。

番外8. 岡山県真庭市
妻の実家で子供3人と妻の4人で滞在中。山の中で自然が多く子供の成育には良さそう。ただ、田舎過ぎて自分が満足できる職場がない。。。

日本人離れした子供にイジメに合わずに日本に溶け込んでもらおうと思うと、やはり選択肢の多い東京近辺に住むことになる。そうすると自然に触れる環境は難しく、どこに行っても人に溢れかえった町に住まざるを得ない。。。ただ東京で家族と快適に住める場所はあまりない。。。。ふと、雨風が凌げて、家族と仲良く暮らせられるだけで満足しきれずに、底なしの欲望を持つ自分に気づくのであった。
やはり人間は生まれながらにして罪人だ。。。謙虚にならなくては。。

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