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助けるべきだったのか...

臨床を離れて純粋な(?)サラリーマンとなって1年半が経った.臨床での「死」ということを身近に考えることで,「生」の意味を考えるような機会がほとんどなくなった.
臨床医時代の私の記憶に残る患者さんを今日は振り返ろうと思う.どうしても医者という職業柄,人を物質的に捉え,一般の人には非常に冷たい印象を持つ内容と思うがこれはご了承いただきたい.

患者さんは35歳前後の女性で,私はその患者さん本人とは結局一度も口を交わせずじまいである.私の中では,助けるべきではなかった患者さんだが,家族のためには仕方がなかったと思うことにしている.
旦那さんと小学校5年・3年の二人の息子さんと同居.今回は3人目の子供を妊娠し,破水・自然陣痛発来し前医の総合病院へ入院.入院後に,「しんどい」というナースコールがあり,看護師がすぐに駆け付けるも既に心肺停止状態,医師3人で心肺蘇生を試みて約30min後に心拍再開する.心肺停止蘇生後の妊婦として私の勤務する病院へ搬送されてきた(JCS-300).又,胎児は搬送前に既に死亡していることが確認されていた.
当院のICUへ収容.入院時(到着時1:00am頃)の血液検査では血液凝固異常を認め,経過より羊水塞栓症と診断した.分娩が進行と共に経膣的な出血が増え循環動態が不安定となる.医師3人がかりで輸血を行いなんとか循環動態を安定している状態であったが,分娩とともに循環が虚脱した.輸血・輸液をすれども血圧は60mmHg程度を保つのがやっとであった.心拍再開に30min要した上に,心拍再開後も神経学的反応もない状況で非常に予後は厳しく,他の2人の医師は仮眠に入った(5:00am).私は諦めずにひたすら大量の輸血を続けた.近隣の県からも血液を取り寄せて,約10lの血液を入れて循環動態が安定する(7:00am).
循環動態が安定して,神経学的予後の判断のために頭部CT撮影.脳槽が狭小化し,脳全体がびまん性に腫大し,脳外科医によりほぼ脳死との診断であった.
脳外科医と共に旦那さんに病状を説明した.「いつまで心臓が動いている状態が保てるかは分からず,ほぼ脳死状態である.ICUで家族の面会制限があるより,一般病棟で家族で過ごせるようにした方が良いと考える...」
旦那さんには,1%の望みでもあるなら治療を続けてほしいと懇願された.回復の望みのない患者さんをICUに収容し続けることもできないため,積極的治療という方針のまま一般病棟に移動した.
一般病棟に入った後も,臨床的脳死状態で尿崩症を併発し,循環動態は変動した.救命できる可能性がない,よくて植物状態の患者さんの治療に関心のある医師はなく,私一人が積極的に治療を続けている状況であった.そうして約1週間が経ち,再度正式な脳死判定を行うが,わずかに脳幹反応が検出されるのみであった.旦那さんの脳死でなければ積極的治療を続けてほしいという希望のまま,治療を続けていった.
そうして人工呼吸器は必要ながら,経静脈栄養から経管栄養となった.限りなく脳死に近い植物状態で安定し入院から約1か月後に自宅により近い前医へ転院した.
転院する際には,このまま一生この状態でまた話せる状態にはまずなることはないと説明したのだが,旦那さんは私に感謝してくれていた.

私がやった医学的事実は,回復の望みのない臨床的脳死の患者さんを増やしただけである.家族の負担,社会的負担を考えると合理的ではないのだが,家族(旦那さん)がそれを分った上で積極的治療を望んだということを理由にして,積極的な治療を続けた.その積極的な治療を続けることに,家族の希望と言えば聞こえが良いが,ただ自分の持っている医学的スキルを駆使して全身管理をしたかったという部分がある.どうやっても助からないという症例に,いろんな薬を使って治療をし,ただ心臓が動いている状態をどこまで続けられるのかという医学的興味が自分の中にあった.私の思う心ある勇気のある医師なら,ほどほどに治療して「できるだけの治療をしたけれどやはり駄目でした」と旦那さんの納得できる死を迎えさせてあげるべきだろう.
家族の希望という免罪符を使って,自分の医学的探究心から逝かせてあげられなかったと未だ気になっている患者さんである.

特に脳血管疾患では,よくて植物状態という回復の望みがない患者さんに遭遇する.それを家族に説明しても,1%の可能性でもあるのなら積極的治療を続けて欲しいと多くの家族が希望する.また,家族を見捨てたという罪悪感から,消極的治療を選択できない多くの家族が存在する.医学的に正しいこと・社会の利益になっているのかと疑問に思いつつも,家族の希望という免罪符で私の中の葛藤をもみ消してしまう.
生きる意味は何か,何をもって生きていると定義するのかという根本的問題を多くの患者さんに考えさせてもらった.
そうして見出した私の中での生きる意味は,家族を自立させた後に社会のために貢献することである.私にとっては,自分で物事を判断できる状態が生きているという定義であり,植物状態しか望めない状況では,一切の延命はして欲しくないし経管栄養さえもして欲しくないと思っている.

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コメント

こういう問題は、かなりきわどいですなー。
下手に救命をやめると、殺人罪に問われかねないし、そうでなくても人道的に非難される羽目になる。
しかし、医学的な見地からは、明らかに無意味な救命であって、最終的に生き地獄を見るのは、植物状態の患者を抱えた家族本人たちである。
なぜ今の日本人は、こんな簡単な結末を見通すことができないのだろうか?
同胞として、本当に恥ずかしい限りである。
まっ、そんなに生き地獄を味わいたいのであれは、どうぞご自由に。ですな。
我々にとって一番いいのは、そういう現場を目の当たりにしないことである。
自分たちの知らないところで、そういう矛盾だらけの医療が強行されているのであれば、それは当事者たちの問題に過ぎないわけだから、どうぞご勝手にして下さい。
福島事件も明日判決が出るが、たまたまその患者を引き受けた良心のある医師が本当にかわいそうだ。あ~南無阿弥陀!

投稿: jacky | 2008年8月19日 (火) 14時09分

> Jackyさん

医療従事者は死というものによく触れますし、仕事として一人の患者さんの生死というものにだけ関わっているわけにいけません。一般の方は普段の生活の中で、生死に触れることもないですし、こうなったらこうなるということが想像できないので仕方ないこともあるのかもしれません。
医療者の常識と、非医療者の常識のgapを埋める作業は難しいですね。

投稿: 夢見るK | 2008年8月23日 (土) 12時08分

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