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「温かい御飯」に「雨風を凌げる家」

もうすぐ今年も終わりが近づいている.
毎日温かい御飯が食べられて,雨風を凌げる家で過ごせて,家族も現在のところ健康だ.
先進国に住んでいると,これはとても当然のことと思いがちだが,非常に恵まれた環境だと肝に銘じなければ...

どうしても人間なので意識していないと,満足しきれず,感謝を忘れて,常に周囲を批判しがちになる.

足ることを知り,常に感謝しながら,常に人の良いところに着目しながら毎日の人生を歩んで精進して生きたい.

来年も,限られた人生の時間を,後悔することなく精一杯生きていこう!

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医療発展と治験

いつも見ているblogへ医療機器の治験に絡んだ記事が掲載されていた。
http://blog.m3.com/TL/20081218/1

亡くなった患者さんの冥福を祈りながら、感情論ではなく、合理的に議論が進んでくれることを願う。

この話はこの記事以外の情報は知らないが、なんかいろいろな要素が混在して複雑
な話である.

1. 急変して6時間も(?)医師に見てもらえなかったという医療過誤の要素
これは医師も看護師も人的余裕の無い状況で,急変しても対応が遅れやすいとい
う治験とは別次元の医療環境の問題?
手術の合併症(医療機器自体の問題ではない?)が起こっているようで、術後2週間というのが気になるが、補助人工心臓の手術には一定頻度で起きてくる不可避な合併症のように思う。この話は合併症が起きてから、実際対応するまでの時間が争点になるように思う。
じゃあどうして対応が遅れたのか? どこの施設でもこれは起きえる状況である。
実際臨床現場で、医師は外来・手術・処置などをしながら常に優先順位をつけて業務をしている。当然、状態の悪い緊急の患者さんに優先して対応して安定した患者さんに関する業務をしている。患者さんのささいな変化に医師がすぐに駆けつけて診察をするのが理想である。ただ臨床の実際の環境はそれをできる状況ではない、代わりに看護師さんがまず駆けつけ「医師にすぐに報告」・「医師に外来や手術を終えて病棟に上がってくるのを待つ」・「医師にすぐに診察を頼む」といった判断を行う。医師は報告を聞いて、直に診察へ行くかどうかを決める。最初の看護師さんのtriage能力にも、知識・経験値が大きく関与する。経験のある看護師さんは、医師に直ぐに報告・診察の依頼をするだろうし、報告して断られても何度もその必要性を医師に訴え、それでもダメなら病棟で見かけた医師に代理に少し診てくれと頼むだろう。その看護師さんの方も劣悪な労働環境に曝されている。一般病棟では急変しやすい患者さんを一人当たり数十人抱えて夜勤なんてざらにある。二人一組で勤務が多いが、相手が新人だったりすることも多い。
急変に対応する・対応してもらう。すごく基本的なことで皆当然のことだと思っているのだが、これを全ての入院患者さんへ提供するには人的コストがかかる。それを外来・救急患者さんにも提供しながら、コスト削減を迫られている。ただ起こったミスを非難するのは簡単なことだが、背景に何があるのか一般の方たちには理解してほしい。

2. 家族の病状の認識不足
いくらなんでも心移植・補助人工心臓の適応になるような患者さんで死亡するリ
スクが高いと専門外ながら感じるが,家族にはその覚悟が全くなかった雰囲気
(?).
医師からどういった説明があったのかは知らないが、一般に患者さん・家族の傾向として大変な治療を乗り越えるために与えられた情報の中で、positiveな情報を頼みの綱に希望を持ち困難を乗り越えようとする。また、医師も悪い話をしながらも、悲観して鬱にならないように希望が持てるように話をする。患者さん・家族の病状認識を確認するには、時間と手間を要する。現在の医療環境は、コスト削減からスピードが求められこの患者さん・家族との良好な関係を構築する時間的余裕がなくなってしまっている。

3. 未承認の医療機器・医薬品をemergency useできる法整備の問題
関連法律に詳しくないが,治験に参加を続ける以外に,法律上はこのエバハ
ートを使い続けることはできなかったかと感じる.
FDAには医薬品についてemergency use法的裏付けがあり、医療機器も同じように立法化されていたように思う。
実験台になりたくない、危険なことはしたくない、新しいことをやったとしても失敗すればそれを非難する。。。最後には「お上」の責任を問いただす。こんな我々の文化が、今の保守的行政を作り出しているように思う。

4. 日本の移植医療の現状
日本で心臓移植の選択枝が存在せず.心臓移植は海外での移植は別として...治療法の選択枝に,承認された(存在する?)人工補助心臓orこの治験に参加ぐらいしかない.
日本では募金をして海外へ行って移植を受けるという話がよく美化されて話題になる。どこの国でも移植のための臓器は足りていない。そこから重症で高い医療費をきちんと払ってくれる(金持ち)からと言って、外国へ行って臓器移植を受けているのが日本の現実である。一番正しい道は、日本で移植医療が発展して、日本の医療の発展と患者さんの移植医療への物理的・金銭的アクセスの向上することである。海外で移植を受けることを当然の選択肢と思ってはイケナイ。これは特殊な例であり、相手の国のgenerosityに頼った選択肢である。
ところでアメリカで自動車免許を取るときに,申込書にdonor登録に関する条項があった.選択枝が(1) donorになる, (2) 2ドル寄付する の二つしかなかった.臓器を提供するか、寄付をしろのどっちかしろということである。こうやってアメリカでは半強制的な国民の貢献によりシステムが維持されている。海外への移植という選択肢を当然と思っている(?)我々日本の国民は移植医療の発展のために何ができているのだろうか??
# かくいう私は日本の臓器移植カードには全て○して持ち歩いているが、アメリカでは登録していない。。。やっぱり日本の医療の発展に貢献したいので。。。

これを契機に日本で臓器移植登録を進めようという話にまで発展してくれればと祈っている.
医療の発展は、試行錯誤の積み重ねである。常に「不老不死」という達成しえない人間の煩悩の賜物である。医学の黎明期には死体を勝手に解剖し、戦争捕虜に薬剤を投与したという暗い過去も持つ。表現は悪いが、必ず誰かが実験台にされた・もしくはなってくれた御蔭で成り立っている。医療にはミス(試行錯誤)がつきものと理解して、我々の子供・孫の時代に繋がる日本の医療の発展のためには今何が必要か、感情論ではなく合理的に考えて行こう。
国のために,神風特攻隊やら人間魚雷にさせられた過去を思えば,自身に役立たなくなった体の臓器を,日本の医療の発展のために差し出すことは日本人にはたやすい事だろうと感じている.コンビニに行けば、臓器移植登録カードは置いてある。その紙に臓器提供「する」・「しない」の意思表示をするぐらいのことなのだから。。。
それでは良いMerry Christmasを! このChristmasを楽しめるのも先進国の特権(?)で、日本という国に生まれた幸せを感じる。

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接待を覚える...難しい..

完全にblogの更新が不定期になりつつある...いったい誰が読んでくれているのか解らないが毎週月曜日に20-30ぐらいのアクセスがあるので頑張って書こう...

今日は現状報告...
現在の私は,8人ぐらいの外国人に混じって,唯一の日本人として働いている.
かといって未だに,日常会話を英語でするのは無茶苦茶苦痛を感じている...特にインド人の英語は輪をかけて聞き取れない...時期に慣れると思っておくしかない...

私の上司は,日本の本社にいてたまに出張でこちらにやってくる.
先日も出張にやってきた.某内資の製薬でかなりの役職を務めていた人で海外赴任の経験もあって,優秀な人だ.ただ60歳をゆうに(?)過ぎて,古風な(?)日本人である.
まず仕事の指示の出し方:
・その場その場の行き当たりばったりで指示が出てくる
・指示が曖昧で行間を読んで動かなければならない.
・基本的にせっかちで,出された指示は瞬時に対応してないとダメ.
・メールより口頭指示を好む (この年齢の日本人はkeyboardが苦手なので仕方ない)
・日本語のメールでも舌足らずだが,英語のメールは内容の理解に苦しむときがある.

こんな状況で,
アメリカの現地スタッフは,この上司をあまり信頼していない.しかも,彼らは自立心が強いので,自分の専門領域のことでは主張を曲げない.そんな上司でも,上司がこうしろと言えば,彼らがそれに従ってくれれば良いのだが,そうならない...

そうして,日本の内・外という文化の中では,上司にとって私は内・彼らは外の人間である.
ある日,ある会社Europeの会社から当社へ視察(2日間)に訪れてきた.重要な案件で,当然,私の上司も日本から出向いて来て,視察1日目の夜は,訪問者と当社のスタッフとdinnerを共にすることになった.私としては,相手は欧米人だし,接待というよりは交流を深めるという認識で自分も適当に好きなように飯を食って満足していたら,上司に「医師だと接待されるばかりだったかもしれないが,接待を学ばなければならない」とお叱りを受けてしまった.そうして視察2日目,Europeの会社の視察者は帰り,私の会社の現地スタッフと共にjob-well done dinnerをすることになった.そこで接待する相手もいないし,安心して食事をして満足していると,上司から「気が利かんな,酒を他の現地スタッフについであげなさい!」っと再度の指導を受けた.おいおい,相手は欧米人で,そんな気をつかっても理解はされないだろうし,しかも同じ会社の社員だろ,どうしてここで接待になんの??っと思いつつ,開いたglassに酒を入れる業務に没頭したのであった.

人生,これ勉強と思いつつ,酒が飲めない,タバコを吸わない,内向的な自分には「接待」を学ぶのは難しいと,諦めてたりもする.:-)
日本とアメリカをつなぐliasonの役割として,精進するしかないな.

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病院が無くなるのは辛いだろうが。。。

日本の臨床を離れて約4年近く。。。臨床医の苦悩がだんだんと薄れていっている。
ただ、医療崩壊は予想を上回って進んでいる。
どこの国へ行っても、医師が足りない、医療崩壊だと叫ばれている。

恵まれた医療アクセス、安くて高度な医療が受けられる環境に慣れきった日本人の感覚が変わることが求められている。
また、コストを考えずにただ念のためと検査してしまう医師の文化が変わる時期が近付いていると思う (医療訴訟に対する怖れを無くさないと、この医師の傾向は無くせないが。。)。

資本主義を基に社会ができている以上、費用を考えずに治療ができる・受けられる環境は維持できない。ただ近くに病院がないと不安だから・不便だからという理由だけで病院を存続させることができなくなっている。
日本のような小さな国で、少々病院が遠くなったといっても、たかが知れている。
リソースは限られている。病院の選択と集中をもっとradicalに進めて行くのが正しい流れに思う(今はただ潰れているだけの段階だが。。)。
小規模病院を潰して、遠くの病院通院の交通費補助、予防医学を含めた一般向け医学基礎教育を進めていくのが正しい流れに思う。

今までの常識が変わることが必要だ。
命に関わることに費用を考えるのはタブーという日本の文化・常識が変わらなければ。。
辛いけれども、命の沙汰は金次第。。。これが厳しい世界の現実。

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