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アメリカは先進国の例外?

フランス・ドイツ・イギリスへ約10日間の出張からやっと帰ってきた。昼に現地のミーティング・移動、夜は日本とアメリカとの調整電話会議で慢性睡眠不足・時差ボケで体の調子が悪い。
まあそれでも臨床をやっていたときよりはましだ。。。人が死ぬストレスはないからね。。
今回、EUに行ったのは公私ともに初めてだが、職場の同僚に以前言われたことがある言葉を実感した。「広い家に住めるのはアメリカぐらいで、他は日本のように狭い住居に住んでいるんだよ」って。。。これは同僚のユダヤ系?人(ドイツで生まれて、イスラエルに行って、ブラジル・フィリピンに住んで、今はアメリカに帰化という一体なにジンなのか知らない)に言われた言葉である。

1.パリ
とりあえずゴミゴミしていて狭い。いたる所にいわゆる芸術的な建物が存在するが、日本並みに狭い狭い。

2.ミュンヘン
日曜で全てのお店は電気を付けたまま閉まっている。

3.ケンブリッジ
住居・職場は日本と変わらないような狭さに感じた。

限られた経験ながら、先進国で広々したスペースで生活できるのはアメリカぐらいというのに納得。日本からは世界=アメリカみたいなイメージが付いているから、こんな誤解を生むんだろうな。
それにしてもアメリカ東海岸・ヨーロッパにしてもどうしてこんなに寒い所に町が発展するのだろうかと感じる。もう少し過ごしやすい所に文化が発展しても良いと思うのだが。。。っと素朴な疑問。。。

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医療を崩壊させている張本人は??

医療崩壊と叫ばれて,安全に安心して受けられる医療環境は当然の権利だという世界の非常識(日本の非常識)が騒がれている.
医療従事者が悪い,マスコミが悪い...っと誰かを批難する話になりがちだが,そもそもの原因は何なのかと言われれば,我々国民一人ひとりが「合理的なリスクを許容できない」ことである.

どんなに優秀な医者でも,全ての治療分野で超一流の人はいない.医師は自分の知識と経験の中で,目の前の患者さんに合理的な治療を提案していく.そして自分の能力を超えた,もしくは必要設備不足の状況で,他の施設・高次施設へ患者さんを紹介・移送する.要は,リスクをとる(自分で治療),リスクを取らない(高次施設へ搬送)の判断をする.

専門医に紹介しなかった,搬送が遅れた,治療・処置が悪かったと医療訴訟・刑事訴訟が増えて,医師がリスクを取れなくなってしまっている(日本に限らず先進国のどこもそうである).そしてその訴訟を起こす原因も,一定頻度で起こる合併症(自然の摂理)を受け入れられない我々国民の,リスクに対する寛容さの欠除である.

診療は英語では,「practice」と呼ばれ,まさに「練習・訓練」である.何年臨床をやっていても,いつも勉強して,患者さんに勉強させてもらっているようなものだった.医師は神様ではなく人間である.24時間・無限に働くこともできないし,全てを予測できるわけではない.全ての患者さん一人に一人ずつ医師を配置することもできない.
医学の本質は,medical practiceということを念頭に議論が必要だと思う.

ところで,このリスクへの許容は,いろんな場面で重要だ.普通に会社・家庭で,失敗を批難ばかりしていては,他人に何の仕事もやってもらえなくなる.合理的にリスクを許容して,仕事を分担(他人に仕事を任せる)できるようにならなくては,outputが高まらない.


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贅沢な趣味

私は周囲から「Kさんは人生何が楽しいんですか?」と聞かれる程,一見趣味がない人である.特に料理に拘らない(味盲?),酒を飲まない,タバコを吸わない,ギャンブルもしない,旅行もしない,スポーツもしない,家の中で過ごしたがる...用時がなければ,毎日ただ会社-家の往復をしている.温かい御飯に家族の健康があれば,それで「幸せだなぁ」っと感じていられる人間である.
ただ,この中国・日本・アメリカとどこへ行っても余暇のない生活が,妻に多大なストレスを与えてしまうのだが...

ただ,傍からはわからない,贅沢な趣味が私にはある.
それは,常に「成長を実感」していたいこと.この趣味が,自分の人生の歩み方の根冠をなしている.惰性で自分が成長できていないと感じることが,我慢してられない性格なのだ.

社会人(医師)になって振り返ると...,
1. 産婦人科医となって3年ぐらい経ったころ,これから産婦人科だけ30年間やっていたら専門性は高まるが,女性の下腹部しか診れない医者(成長してない?)になってしまう→医局をやめて他科研修開始

2. 研修医生活を7年やったところで,若いうちに海外での経験をしたい.→中国へ行って家庭医

3. 臨床をやって9年,このまま医師をやっているより,他のビジネスのことも勉強してみたくなった→日本へ帰って製薬企業(マーケティング)へ転職

4. 会社でこのまま出世していっても自分の先は知れている.→海外で製薬企業のR&Dの経験をしようと転職・渡米

...っで今に至る.常に新しい挑戦をする原動力は,もっと成長したいという贅沢な趣味なのであった.
ただ,20代の頃ほどのパワーがなくなっている.惰性で守りに入らず,贅沢な「成長を実感」するという趣味を続けていられるか不安だ...精進,精進....Stay hungry, Stay foolish.

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生きることの定義は?

仕事の関係で移植関係(DCD: 心停止後のドナー)の文献を読んだ。
http://www3.interscience.wiley.com/journal/118592106/abstract

それで気づいたのが、生命維持装置を外すことが患者さん自身の意思とは全く関係なく当然なこととして議論されている。患者さんの苦痛を与えないために鎮静・鎮痛剤を投与することまで勧められている。
日本では家族の同意のもとに生命維持装置(人工呼吸器)を外す・止めたことで殺人罪で医師が捜査・起訴されるのとは雲泥の違いだ。

アメリカでは移植医療が進み、脳死移植→死体移植へとより医学的に難易度の高いドナーへとステージが進んでいる。
日本では、生命維持装置を人為的に止められない、脳死移植も制約が多い。
脳死の診断を受けた患者さんが一か月経っても生きている(植物状態: 脳幹機能が残っている)のは脳死判定のやり方がおかしいとか、外国で脳死と言われて日本に帰ってきて生きている(植物状態?) と議論される。植物状態でも日本では立派に生きていると考える人が多いのだろうか??
植物状態の人間を増やす議論(寝たきり患者さんを増やして社会的負担が高まるのみ)よりは、医療が発展して子供・孫の世代に繋がる医療を考えることが大事だと思う。移植を進める短期的リスク(植物状態の患者さんがドナーになる)ばかりが意識され、移植を進めない長期的リスク(次世代が移植医療を受けられない)に意識していかねば、この壁は越えられない。
年始早々、話が重かったかな。:-)

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