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日本人であることを恥じるとき

このところ出張が立て込んでかなり忙しくしていたため、ブログを一回飛ばしてしまった。
普段は日本人であることにいつも感謝しているが、先日の出張では日本人であることを恥じる出来事があった。
ある米国の移植医と話をしていた際、アジアでは臓器売買による移植が多いということが話題になった。すると同僚が、「その臓器を買いに行っているのが日本人なんだろ?」と、私は言葉に詰まりながら同意せざるを得なかった。
自国で移植ができず海外に移植を受けに行くのが当然になっているという日本の現実は、先進国としては異例で、先進国としての責務を果たしてないばかりか、倫理的にも許される話ではない。
脳死判定に不備がどうこう・脳死判定をもっと厳格にどうこう。。。といつも話題になるが、助かっても植物状態の患者さんの人権が、海外の臓器提供者(日本のような厳格な脳死判定をしてない)人権・臓器を買っている日本人を暗躍させる現実を正当化できるとは思えない。

世界的な外国人の移植を制限する流れ(自国民にのみ移植を行う)から、近年中に海外での移植の道が閉ざされるという現実に直面し、やっと移植法の改正も行われそうである。
どんな規則・法律を作っても、それを悪用する人間は必ずいる。それを絶対に防止するように規制しようとすればするほど日本の移植医療は進まなくなる。日本人はなんでも完璧を求めがちだが、そのriskとbenefitのバランスを常に考慮する必要がある。
移植の話に限らないが、ただやみくもに完璧を追求するより、それを追求するriskは、benefitを上回るのか? そんな損得勘定をできる感覚が大事だと思う。

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コメント


なんやら生きた法輪功から取っちゃうみたいよ
http://jp.epochtimes.com/jp/2007/02/html/d89513.html
中国で一番やってるのはjackyん家のちかくらしい

投稿: おさむ | 2009年4月28日 (火) 09時57分

> おさむさん

御無沙汰しています。あそこらへんの病院はとある日本の医師が日本から患者を紹介して、自分で執刀するという、どーなってんの状態です。:-)

投稿: 夢見るK | 2009年5月 4日 (月) 12時00分

こうなったら、信者をがんがんに増やしてもらって、その臓器を日本へ移植!と。って、あほか!
まあ、麻生・小沢あたりの家族が要移植の状況に陥った時、どう動くかですな。
結局自分たちがそういう立場にならない限りは分からんでしょう。あほやから。
又は、再生医療にもっと頑張ってもらって、人工臓器の移植を奨励するかだな。
どっちかといえば、こっちの方が今の日本には現実的なんだけどね。

投稿: jacky | 2009年5月 6日 (水) 11時34分

> Jackyさん

人工補助心臓の治験で、亡くなられた御家族が訴えていた事件がありましたよね。:-)
あり得ない理想の完璧を追求する国民のマインドセットが変わらないと難しいのだといつも感じています。

専門領域じゃないので間違っているかもしれないですが、心臓移植までのつなぎに過ぎない人工心臓の開発を、心臓移植ができない国で行う状況。命綱なしで危険な綱渡りしているような気がします。脳死なのに24時間以上生きているのは診断の仕方がおかしい!と「植物状態の患者さんの人権保護」と、現代医療として確立した移植の医療を受けられずに死んで行き・命綱なしで治験に参加しなければならない「助かる患者さんの人権」と、一体どちらを尊重するのが合理的なのか。。。すごく単純な比較に思えるんですが、そう簡単に行かないのが日本なんでしょうね。必要なリスク(植物状態の患者さんが脳死と診断されるリスク)を取れるマインドセットが必要なんでしょうね。:-)

投稿: 夢見るK | 2009年5月 9日 (土) 22時15分

がんばっても訴えられる、何をしても文句を言われる。
んだったら何もしない方がいいのでは?という結論になってしまいます。
そこれへんのリスクをあえて背負う決断をされている先生方には頭が下がりますが。
長生きするのが当たり前になった今のご時世、生に対する執着が昔より一段と強くなってきている気がするのは自分だけでしょうか。
どこまでが生で、どこから死、という定義がある中で、実際にはグレーの部分が大きな%を占めるというのが現実なんですがね~。

投稿: jacky | 2009年5月12日 (火) 03時04分

> Jackyさん

おっしゃる通り! 「生」へ執着し「死」を受け入れられないのが根本原因と思います。日本は物質的に豊かになって、いつしか「成熟」しきれない大衆文化になったんでしょうね。その昔、高性能ICチップの代わりに人間魚雷・神風として、若くして「死」を受け入れざるを得なかった時代に生きていた人達の方が精神的に成熟していたのではないかと感じたります。
永遠の「生」なんか存在しない。人間は放っておけば死んでしまう。医療の介入は、「死」の瞬間を引き延ばしているに過ぎない。自然の摂理の中で人間の力なんて到底及ばないのに、現代医療への異常な幻想があるように感じます。

投稿: 夢見るK | 2009年5月18日 (月) 16時30分

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