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ドラッグラグ

「ドラッグラグ」という海外で認可されているのに日本では認可されていないもしくは認可が非常に遅れるという問題がある。
この問題が取り上げられるときには、PMDA(新薬の承認申請するところ)の審査が遅いことばかりが非難される。確かにPMDAの審査はFDA(米国)・EMEA(EU)に比べると遅い。ただあの人員の少なさでよくやっていると称賛されるべきだと感じている。
それよりは、もともと承認申請さえされてない薬が大半なのがもっと議論されるべきだろう。どうしてなのか、それは簡単で日本の市場性がないから製薬会社は申請しようともしない。製薬企業は営利団体で、投資費用と利益のバランスで物事を決める。海外に比べて患者あたり倍以上の臨床試験費用がかかって、臨床試験期間も長い、挙句の果てに審査も長い。駄目押しで、非常にまれな疾患の適応では全例調査(投与された患者さんの経過を一定症例数調査)が課される。
非常に稀な疾患にこそ数少ない海外で認可されている薬を届けるべきなのに、製薬企業にとっては市場が小さい(稀な疾患)上に、販売後の全例調査で金はかかるは大事なMR(薬を売るセールスマンみたいな役割)リソースまでとられる(他の儲かる薬を売ることができなくなる機会損失)始末である。
PMDAの役割は、患者さんに安全な薬を届けることが使命であり、全例調査を課すことは仕方がない。ただ、年間2000万円ぐらいの市場に、10年単位のフォローをする全例調査(億単位の経費)を主張していては製薬企業は申請を辞退してしまう。
「ドラッグラグ」を考える場合に、企業の論理思考(株式会社である限り利益を得ることが第一目的)を理解せずには解決できない。
日本の製薬産業の育成と、国民に安全な薬を届けるこの両立を目指す夢のようなアイデアがあるが書くのに時間がかかるので、またの機会に。。。

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格差社会

日本では民主党に政権が変わったらしい。
何が勝因なのかわからないが、変化するということは良いことだと期待している。
ただ格差社会が問題に挙げられて、やみくもに保守的な社会にはならないで欲しい。
格差社会は日本だけの問題ではなく、グローバル化の流れに伴う必然である。世界の貧困層・富裕層の格差はもっと大きく、まだまだ格差の小さい日本が世界標準に近づこうとしているだけである。この流れは日本が鎖国でもしない限りには止められない。
政権が変わって、格差が「0」社会のようなありえない理想を追求するのではなく、一定の格差が生じることを認めながら、富の再分配がうまくバランスされた社会の形成を目指すことである。

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お金を貯めるより大事なこと

常日頃,お金を貯めるより,そのお金を使ってどんな能力をつけるかが一番大事なことだと思う.そんな方針の元に,子供用の本には結構なお金をかけている.

金本位制が崩れて以来,お金の価値はその国の信用により決められている.どんなに国債を発行しようが,将来ちゃんと国債発行時に決めた利子を付けてお金を返してくれるという国への信用が維持され,日本円もアメリカドルも貨幣価値を維持している.
資本主義は,人間のお金を得たいという誰もがもつ特性を使って社会システムを維持する制度である.お金のために,皆,働き続け社会をうまく回していく.社会主義は理論的にはよくできた制度だけれども,人間の楽をしたいという煩悩を抑制できずにうまく機能せずに縮小しているのは歴史を見ればわかる.この人間のお金に対する要求を満たしながら,社会をうまく回すバランスが,国債の金利となって現れる.年利数%というバランスを維持しながら社会システムをまわし続けるのだが,最近の金融危機に象徴されるようにこのバランスが崩れる徴候が出てきている.このバランスが崩れたときに起きることはインフレであり,こつこつと貯めて来たお金の価値がなくなってしまうことである(インフレで物価が2倍になれば現金の価値は1/2).
そんな時代がいつかやってくる.それに備えてやるべきことは,決して取られることのない自分自身・家族への投資(必要なお金を掛けていつの時代でも生き残れる能力をつける)である.常に以前の自分より成長していることが大事(人的価値の向上)である.自分自身が成長せずに,お金を貯めようとしているだけでは,インフレには勝てない.
っと言いつつ,アメリカは自分の生まれる前後(30年以上前)から財政破綻するとさわがれ,日本も財政破綻すると危惧されて10年以上,これからもう20年程(子供が成人する)ハイパーインフレが来ずにすむかなぁ...

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KYが悪いことか?

一時、KY(空気が読めない)が流行語だった(?)。大半は周囲の状況に合わせる能力がない人間のように否定的な意味で使われていたと思う。ただ、個人的にはKYな方が、肝っ玉が据わって自分の軸で人生を歩めるので良いと思っていて、KYと呼ばれてもあまり気にしない。
皆、多かれ少なかれついつい体裁を気にする。こんなことをすると、こう思われる、こんなことを知らない・聞くと笑われる。上司・同僚に恥をかかせる。。。自分の限られた時間でできることを考えれば、周囲がどう思うかにあまり気を揉み過ぎず、自分が今何をすべきかに集中するべきである。今、自分のすべきことに集中して取り組んでいれば、周囲がやがて評価してくれるようになる。よくわからない人間関係に惑わされず、すべきことに集中していきたい。

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