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今を生きる

2009年の春ごろにある先輩が進行癌であることの知らせを聞いて書いた記事。

海外から一時帰国の日が決まって、その先輩に連絡して見舞いに行こうと思ったときに亡くなられたとの連絡を受けた。生きるということは、必ず死ぬという終わりがあるからこそ美しい。限られた生きる時間を、後悔なく過ごしていく重要性を常に感じながら、今の瞬間を大事にしていきたい。

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先日、人づてにある先輩が胃癌の腹膜播種で治療中と連絡があった。あまりに身近な先輩で、なんとも言えない悲しい知らせである。今まで多くの癌の患者さんに接していても、同業の医師で身近な先輩となると感情が移入してしまう。その先輩が何か悪いことをした訳でもない、なんという皮肉な運命のイタズラなんだろう。
同期・後輩に伝えると皆言葉が出ない。皆医師として病状を客観的に評価することに慣れていても、あまりの身近な人のことで、あまりに厳しい病状で口に出せない。何も言わなくても胃癌の腹膜播種だと聞けば医師であれば予後が解る。

私自身、海外赴任中で見舞いにも行けず。連絡先を聞いたものの、電話するにも何て声を掛ければ良いのだろうと悩んだ。お互いに予後が分かっているのに、白々しく治療頑張って下さいなんて言えないし、かといって残りの人生楽しみましょうとも言えない。そうやって思い悩みながら、生きている間に話がしたいと思い自己満足のために電話を掛けた。

学生時代からサバサバといつも落ち着いた先輩である。電話越しでもいつもと変わらない調子だった。まるで他人事かのようにご自身の状態を話してくれる。暇にしてるのでまた気軽に連絡をしてねとまで言ってくれた。今までは医師としてろくに家族の時間も取れなかったが、今は家族とゆっくり過ごせると皮肉な話である。また、私は電話させて下さいと話して電話を切った。

感情的にはこの夏を無事過ごして欲しいと切に願うが、医学の常識を考えるとその可能性は決して高くはないという冷酷な現実である。そんな運命を落ち着いて受け入れている先輩を思えば、自分の日々のストレス・挑戦なんてささいな問題である。何気ない生活を送っていると、3ヵ月先もいつもと変わらず生きているものだと思いがちだ。自分の人生は限られている、それが3ヵ月なのか、6ヵ月なのか、10年なのか、もっと長いのかなんて誰にも分からない。そんな当然のことを改めて思い出し、「今を生きる」大切さを思い出させてもらった。

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